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2003年に会社員辞めて、オランダ人に誘われてサッカーコーチング研修してみた。
フェイエノールト、オランダ人のサッカーを学んだ。 2005年に可茂地区になかったサッカークラブを立ち上げた。 今はないジュニアのクラブ可児SSのジュニアユース部門として。 訳のわからない駆け出しのサッカー指導者の私が地域の少年団を回って選手を誘った。 協力してくれた可児SSの指導者、地域少年団の指導者の方々の協力がなければ今のFCVはないと感謝しかない。 2005年頃の塩河グランド、雨が降るとこんな感じ。 それを何度もスポーツ振興課に訴えると、今は議員さんになられた方が協力してくれて栓を開けてくれた。 いつからか東海大会に憧れた。 何度も悔しい思いをしてようやく5期生で初出場。 次は東海大会での勝利そして全国大会を目指しだした。 6期生が東海リーグに上げてくれたおかげで、7期生がたくさんの東海レベルの経験ができた。 そして7期生が東海大会で勝ち、あと一歩で全国まで迫った。 あの経験が今の中学生の指導の味付けの部分となっている。 選手育成としては、大学までプレーする選手育成を目指した。 4期生中山(瑞浪スパローズ→FCV→麗澤瑞浪→岐阜経済大)、弥(共栄JFC→FCV→立正大淞南→東海学園大)が第1号だった。 失礼だが意外だった。中学時代リザーブだったから。 上手いと言われて高校で止めてしまう選手。 それより大学まで続けている選手はその高校で止めてしまう選手にある意味勝ってるんだと思う。継続は力なんだと。 岐阜経済大学19番3年生中山 5期生高垣そうた(土田エスペランサ→FCV→麗澤瑞浪→愛知学院大)が2人に続いてようやく3人の大学サッカーを経験者が出た。 そして今年は6期生木下史也(西可児→FCV→四日市中央工業→愛知学院大)、冨岡侑平(駄知エスペランサ→FCV→聖和学園→名古屋学院大学)、有本大作(川辺→FCV→中京→岐阜経済大)、湯川龍弥(中部→FCV→聖和学園→岐阜経済大)、イララガブリエル(西可児→FCV→中京→名古屋経済大)と一気に5人も大学サッカー経験者が出た。 また大浅しゅんや(御嵩→FCV→関商工→鈴鹿アンリミテッド)、澤野航太(多治見エスフェルソ→FCV→中京→)が社会人リーグで挑戦する様子。 愛知学院大学18番1年生木下 そして可茂地域のサッカー発展の為に、以前オランダ人コーチのクリニックを実施しました。 たくさんの地域の指導者の方々が集まってくれました。 そんな企画をまだまだ出していかないと。 いろいろ書きましたが、少しだけ憤りを感じたことが最近ありました。 地域のために、岐阜県のために、を外さずにやっていかんと。 自分がなぜこの仕事をし始めたのか? どんな思いでやり始めたのか? 変化や進化していいものと、絶対に変化させてはいけないこと。 それを整理してみようと思いました。 そして自分が、クラブが何をよしとし、何を単純にかっこいいと思い続けていくのか。 会社員やりながら、お盆休み岡山まで通訳の仕事をしにいったこの頃の情熱と。 PR コメントを投稿する
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